九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

転勤

「働くあなたに キクツボ!」( NHK総合 午後10時50分から30分)を観た。
今回のテーマは転勤だった。
転勤はいいのか?わるいのか?
転勤を会社からいわれたら断るか?受けるか?
いろんな人がいて、いろんな考え方がある。
その番組を観ながら私は昔のことを思った。

私は、44歳のときに山梨に転勤した。
そのとき勤めていた会社は大手総合商社の子会社で、
半導体製造装置の周辺機器を製造していて、
ほとんどの日本の半導体メーカーに、装置を納めていた。
台湾、韓国の半導体メーカーにも毎月何台か出荷していた。
合併する前には、アメリカのインテルに毎月装置を5台前後出荷していた。
そのときの会社(従業員200人ほど)には、
東京(小平)・埼玉(所沢)・熊本・長野・福島・山梨に工場があった。
私はそのとき、小平本社に勤務していた。
私は、資材課の仕事をしていたのですが、
1年前に山梨に行った資材課長が会社に来ないという。
それで、山梨に行ってくれないか、ということになった。
山梨に行っていた者は、私より1歳年下の資材課長だった。
2年前ほどに2つの会社が親会社の意向で合併した。
それまで所沢に勤めていた私は、小平に移った。
そこにいたのが山梨に行った資材課長だった。
私もそのとき資材課長だったが、なぜか立場が下だった。
合併先の会社のほうが売り上げが上だったせいだと思う。
彼は、40代で独身だった。
小平でも会社に来たり来なかったりの資材課長だった。
そんなことで山梨に飛ばされたと噂されていた。
その彼が、山梨の会社に来なくなったということで、私が行くことになった。
女房も息子たちも山梨などには行く気はなかった。
私は、単身赴任をした。
転勤は1年という約束だった。
(借りたアパートから晴れた日に見られた富士山はよかった)
ところが1年後、会社はひどいことになっていた。
小平の本社を山梨に移して、熊本・長野・福島の工場は売却するという。
これまで山梨の工場は、何も会社に貢献してこなかった。
小平・所沢・熊本・長野・福島の工場が、これまで会社を支えてきた。
それが、そこが会社から消えて、山梨が残る。
私は会社を辞める決意をした。
そのとき私は45歳でした。
必死に東京や埼玉で転職活動をした。
そのときの社長が山梨に来てくれて、私に言ってくれた。
「転職した先でうまくいかなかったら、またここ(会社)に戻ってくればいいよ」
しかし、その社長はその1ヶ月後に社長を解任された。
結局、その会社は1年後には消滅した。
これが私がこれまでの人生で経験したたったひとつの“転勤”です。