九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

寂しい祝杯

Kくんは、12月上旬まで作業所に来ていた。
今は来ていない。
昨日、仕事始めの日の朝礼で、
一般の会社に就職できたという正式な発表があった。
私の気持ちは複雑だった。

私のいる作業所は、知的障害者に、
普通の会社で仕事ができるように教育をして、
就職を応援するところだ。
その目的が達成できたのだから喜ぶべきことなのだ。

だけど、私は素直に喜べない。
率直にいって、寂しい。
私は作業所で働くようになって、
就職できる子がいたらいいな、と思っていた。
そのために毎日職員は苦労している。
ところがいざ就職してKくんがいなくなったら、
とても寂しい。心に穴が開いたようだ。

彼は、28歳だったかな。
時計とかの小物が好きで、いいものを持っていた。
おそらくお父さんがそういう趣味があるのだろう。
腕時計、スニーカー、ジャケットなどが、
有名ブランドのものだった。
それらを嬉しそうに私に見せてくれたものだ。
性格は内向的で、喋ることがハッキリしなかった。
それでも秋の頃、
Kくんはラブレターを書いてきたと私にいった。
作業所のダウン症の女の子に渡したという。
もらったその子も嬉しそうだった。

Kくんはよく私に話しかけてきた。
11月のある日仕事が忙しくて、
夜8時ぐらいに終わったときがあった。
通常の送迎は所沢駅までだが、
遅くなったときは、各家まで送る。
私は3人を自分の車に乗せた。
Kくんが最後だった。
黙っている彼に私はいろいろ話しかけた。
あの夜のことが思い出深い。

だめだ、寂しいなんて私の感傷だ。
Kくんが一般の会社に就職できたことはめでたい。
作業所に入りたくても定員があり、
自宅待機している障害を持った子がたくさんいる。
これからもどんどん作業所の子を就職させて、
新しい子を迎え入れるのだ。
私は彼のために祝杯をあげよう。
ちょっぴり寂しい祝杯を。