九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

中出ギター製作所

今日の夕方、茨城の友人から電話があった。
こんど6月にあるクラス会のことなどを話しているうちに、
「そういえばオメェ、高校出でつどめだギター製作所に行ったごど
 九想話にまだ書いでいめ。どうだったんで?」と訊かれた。
そのとき簡単に友人には話したのですが、今日書きます。

あれは4月7日だったか?
私が弟子入りした中出ギター製作所に行ってみようと思った。
清瀬駅で電車に乗り、石神井公園駅で降りた。
あそこは、西武池袋線石神井公園駅より、
西武新宿線井荻駅のほうが近かった。
しかし、どちらからも20分以上は歩いた。
石神井公園のほうに歩いていった。
公園には大きな池がある。
そのまわりに桜が咲いていました。

19歳のとき、中出ギター製作所に失望して辞めたとき、
兄弟子とリヤカーに蒲団包みを積んで石神井公園駅まで運んだ。
そのあやふやな記憶がある。
その道を逆に歩いたのですが、分からなくなった。
そのうちに井荻駅のほうになった。

「日本弦楽器製作者協会 個人正会員部門名簿」というサイトを見ると、
中出敏彦ギター工房しかなかった。
中出輝明という人の紹介サイトもあったが、
それ以外の中出というギター制作者はいなかった。
この2人は、中出阪蔵の子どもです。
中出阪蔵という人は、私が弟子入りした人のお兄さんでした。
中出阪蔵は、ギター制作者としては素晴らしい人のようです。
Webだけがすべてとは思わないが、
私が弟子入りした中出(う~ん名前を忘れました)さんの息子さんは、
ギター制作者にはなっていないようです。
私が弟子入りしたとき、親方は50歳前後ぐらいでした。
今生きていれば90歳以上でしょう。
私が弟子入りした中出ギター製作所は、現在はないと思われます。

それはそうとして、私が弟子入りしたときにいた兄弟子2人は、
その後どうしているのだろう?
いい人たちでした。
仕事は5時に終わるのですが、そのあと、
兄弟子たちはギターのネックを削った。
1本500円の賃仕事です。
9時ぐらいまで2・3本削っていた。

小林さんという人は27歳だった。
フラメンコギターがうまかった。
夜、いつもフラメンコの曲を弾いていた。
その人が録音機を買うときに秋葉原までつきあった。
その頃のテープデッキはオープンリールでした。
私が今も持っているオープンリールのテープには、
その人のギターと私たちの会話が録音されている。
オープンリールのテープを聴けるものがあったら聴いてみたい。

もう1人の人は池田さんという人で22・3歳だった。
何年後かに、偶然に上野駅で遭遇したことがあった。
今は、ギターを作っていないのかな?
会ってみたいです。