九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

釣瓶井戸

私の生まれた家は、私が小学生の頃まで釣瓶井戸だった。
釣瓶は孟宗竹1本丸々使って作られていた。
真ん中あたりを
Yの字の材木に鉄の棒で動くようにして固定し、
根っこに石をくくりつけ重りにして、
細い先っぽに釣瓶のバケツのついた竿がついている。
テコの原理ですね。
水を入れたバケツを持ち上げるとき楽なように、
竹の根っこのほうを重くしてある。

それぞれの家ごとに形が違った。
私はうちの釣瓶井戸の姿がいいなと思っていた。
あれはかなり大がかりな道具でしたね。
滑車の釣瓶井戸の家もあった。

釣瓶用のバケツがあったのが面白い。
普通のバケツの持つ所が5センチほどの丸になっていて、
そこに竹をつけるのです。

家で使う水は全部釣瓶でくんだ。
お風呂の水を交換するときが大変だった。
家から14、5メートル離れた井戸と
家の中の風呂の間を何回も往復しなければならない。
大きめのブリキのバケツ2つに、
釣瓶でくんだ水を入れ、それを両手で持って行く。
バケツ1つをいっぱいにするのも、
2、3回釣瓶を上げる。
母はそんなことを、百姓が終わってから
暑いときも寒いときも1年中やっていた。
それで風呂に入るのは一番後だ。

朝起きて、顔を洗うのも歯を磨くのも釣瓶を使う。
温かいときはいいが、冬は辛かった。
私はこれが面倒で歯磨きをサボり虫歯になった。

夏の暑いとき、畑からスイカを採ってきて、
釣瓶のバケツに入れて冷やしておいた。
その冷たいスイカがうまかった。

ある年の暑い夏のとき、
4、5歳の子どもを連れた女の乞食がやってきて、
「井戸を貸して下さい」といった。
今でいうホームレスのその女性は、
子どもをまず裸にして水で洗い、
そのあと自分も服を脱いで裸になり水を浴びていた。
私はその後ろ姿のきれいだったことを
今でも覚えています。