私は26歳で結婚して東京都豊島区のアパートに住んでいたが、
応募した高島平の公団住宅に補欠当選して、そこの1DKに住むようになった。
双子が生まれ子どもが3歳になると公団住宅の2DKに移れる資格が生まれた。
それで埼玉県富士見市に引っ越した。
息子たちが5歳になると3Kに住めることになり、所沢の3Kのテラスハウスに移った。
テラスハウスというのは、1階に1部屋と台所と風呂・トイレがあり、2階に2部屋あった。
そんな庭つきの家が5軒長屋のようにつながった住宅です。
息子たちが中学生になった頃、新所沢の公団住宅の建て替えが始まった。
それで私たちも息子たちが中学3年の秋に、7階建ての鉄筋の3LDKに引っ越すことができた。
このときは息子たちそれぞれに部屋を与えられてよかった。
しかしここは傾斜家賃で毎年家賃が上がるのがつらかった。
新所沢駅前の公団住宅を2回、家賃の安いところを探して引っ越した。
それでも月14万円ほどと高かった。
2009年、私の友人が長野県の佐久市の文化施設で働かないか、と誘ってくれたので、
私は社員寮があった軽井沢に引っ越した。
女房は、東京都清瀬市のUR賃貸(昔の公団住宅)の2Kに引っ越した。
妻は東京都にある会社に勤めていた。
2013年頃に、女房が「家が欲しいね」と言い始めた。
私は収入が少ないので、まったく家を手に入れるなんてことは考えたことがなかった。
それでも女房が「年取って住む家があったらいいね」と言うので、探し始めた。
はじめは埼玉県のマンションを探した。
所沢市・入間市・狭山市・坂戸市などの不動産屋に行って紹介していただいた。
その頃、家を買うならマンションはやめたほうがいいという友人がいた。
彼は新所沢の一戸建てに住んでいた。
それから私たちは、一戸建ての家を探すようにした。
といってもお金のない私たちが買える家はなかった。
ある日、不動産屋の営業がその日の5番目ぐらいに紹介してくれたのが、今住んでいる家です。
2013年12月に買ったときの家の状態はひどいものでした。
そのせいか価格は安かった。
頭金をある程度払って10年間の住宅ローンにしてもらって、なんとか購入できた。
その汚い中古の家を女房と2人で壁紙を貼ったり、壁を塗装したりといろいろリフォームした。
買ったとき私は軽井沢に住んでいたので、月に2・3度家に来たときにその作業をした。
玄関ドアとバルコニーと洗面化粧台は買って新しくした。
女房が1年ほど住んでから外壁塗装をした。
そのことは2014年の九想話に何度か書きました。
3/5 壁紙貼り(1)
3/18 壁紙貼り(2)
3/19 今日のリフォーム
3/23 洗面化粧台
3/25 バルコニー
3/26 壁紙貼り(3)
住んでいる鳩山町は、池袋までは1時間半ほどかかる。
東京までは遠いので、年に何回かしか行かない。
買い物は車であちこち行っているので不便なことはない。
女房と2人で、静かに健康にこの家で長く暮らしたいです。