九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

雄弁な息子と無学な父

 10時45分から、NHK教育の人間大学「百科りょう乱(新聞の表記では
こうなんだな、ひらがなが哀しい)・女たちの中国史」を見ているときに、女
房がフラメンコのレッスンから帰ってきた。それまでテレビを見て知ったこと
を話していたら、Kがすぐそこにいて、
「テレビでいってる、………というのはおかしい」
 という。
「どこかの中国の歴史を研究している人がいってるんだから、間違ったことは
いわないんじゃない」
 と、私。
「でも、………は、○○○ではないよ」(忘れてしまったので書けません)
 と強気でいう。私は、中国の歴史はまったく知らないので、話をそらした。
「Kは、則天武后は知ってんの?」
「知ってるよ。則天武后は~~~で、玄宗は△△△で、あれがなんたら、これ
がかんたら………」
 酔いがそれなりの、無学な私は、ちんぷんかんぷん、でした。
「今初めて知ったんだけど、玄宗のおばあちゃんなんだな。おれは知らなかっ
たよ。えみさん、玄宗って人知ってる。中国の皇帝だけど、息子の嫁の楊貴妃
と一緒になったとき、玄宗が61で、楊貴妃が27歳だってよ。それじゃ国も
亡ぶよな。そんなふうにおれも亡んでみたいよ」
 まったくバカなこといってる私でした。それ以上に女房はとんちんかんで、
「K、すごいじゃない。がんばっていいとこ(大学)いってね」
 なんていって、シャワーを浴びに行ってしまった。
 玄宗は、女房(とはいわないか)を亡くして元気がなくなった。それをみか
ねてまわりの人たちが、女を捜した。そこで見つけたのが楊貴妃だった。とこ
ろが、彼女は息子の奥さんだ。それで家臣たちは、楊貴妃を息子さんと別れさ
せて、いったん尼に出家させて、それから玄宗とくっつけた。と、(いや、く
っつけたといういいかたは、けっしてしていませんよ)人間大学の“教授”は
話していた。
 楊貴妃とか玄宗とかの、名前は知っていたが、そういう関係だとは知らなか
った。無知な私です。
 時間があったら、そのへんのこと書いてある本を読みたいな。
 Kは、大学に行って世界の歴史を勉強をすることが希望だ。それにしても、
中国の歴史なんてよく知ってるな、というのが私の今日の感想だ。
「K、受験勉強がんばってるか」
 と訊くと、
「だめだよ」
 と、こころなしか小さな声でいう。
 ここらあたりは、私の息子だと、自信を持てます。