九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

老いてこそ 電脳暮し

「老いてこそ 電脳暮し」水上勉
(光文社<知恵の森文庫>刊)を読んだ。
水上勉が70歳で心筋梗塞になり、心臓の三分の二が壊死して、
三分の一の心臓で生き残った。
そんな体でも文章を書きたい欲求はあるのだが、
「原稿用紙に万年筆をつかってきたが、筆圧が重くなると、
 二千字ぐらいで息切れが起きた。」
77歳でキャノンの縦書きワープロを使い始めたが、
「重くなってフロッピーの互換性がないことがわかると、」
マッキントッシュのパソコンに切り替えた。

「九歳のとき、漢字の意味もわからず『かんじざいぼさつ』
 などと読んでいたが、それはルビが読めたのであった。
 ワープロもルビで漢字が出てくる。
 九歳に戻った気がして楽しい瞬間もあった。」
80歳近い水上勉が、子どものような好奇心で
パソコンにのめり込んでいく様子が書かれていた。

大阪の障害者のための工場にかかわる。
そこで重度心身障害者が、
パソコンを使って印刷製本ができることを知り、
娘(脊髄損傷で歩行困難)にパソコンを買って、
文章や絵をかかせたいと思う、楽しみも増えた。

79歳になる2日前(3/6)、左眼が眼底出血に襲われる。
6月に右眼が白内障と知り、
8月になって左が網膜剥離とわかった。
全盲になる日のことも慮(おもんばか)って、
 最近宣伝チラシで見た、しゃべると文字になる I 社の
 音声入力コンピューターを買って練習に入った。」

インターネットを駆使し、
雑誌社からメールで校正刷りを送ってもらって
画面校了もしている水上勉の背中が眩しい。

本の後半は、信濃飯山に正受老人という
白隠禅師の師となった人の
「一日暮し」という文章のことが書いてある。
これを読んで水上勉は、
「一日だけ生きれば充分だ。あすもあさってもと思うから、
 この世がめんどうになってくる」と、解釈した。

正受老人は僧名は慧端(えたん)といい、
寛永十九年に松代の真田候の妾腹の子として生まれ、
飯山の松平遠州公の養子となり、
飯山城主松平忠澄の家で育った人で、
成人してから妻をめとらず、大寺にも住まず、
雪深い飯山に庵をむすんで、母親と田圃を耕し、
農耕三昧、晴耕雨読の日を送り、80歳で死んだ。

禅宗中興の祖といわれた白隠が飯山の百姓和尚のもとにきて、
 はじめて大悟し、日本の禅が生き返ったのである。」
と書かれている。
この慧端というひとの生き方に興味を持った。

「本来無一物」といった禅宗、六祖の慧能という千年前に、
広東省新興県に生まれたひとのことも書いてあった。
「一日暮しも、むろんこの人の思想を源流としているし、
わが国の禅祖栄西臨済宗)、道元曹洞宗)も
慧能の滴(しずく)を汲んで宗旨を伝来しているのである。」

長くなるのでこの辺でやめます。
いい本を読みました。