九想庵

埼玉の田舎で暮らしています

惰眠の中

朝、私は6時過ぎに携帯電話のアラームで目が覚めた。
トイレに行き、布団に戻り、ラジオのイヤフォーンを耳にあてる。
なぎら健壱のあのころのフォークが聴きたい」を聴く。
「フォークのような、カントリーのような、変な曲」として、昔の曲をやっていた。
先週は美空ひばりのカントリーを歌った曲が流れた。
なぎら健壱も、毎週紹介する曲に苦労してんだな、と思う。
そのままラジオを聴いていた。
ときどき眠ってしまう。
ラジオ体操を今日はパス。
6時40分からの「著者に聞きたい本のツボ」というコーナーが、                
第148回芥川賞「abさんご」を書いた黒田夏子へのインタビューだった。
先週この予告は聴いていたのでなんとしても聴かなくてはと思っていた。
眠たいのに私は必死で聴きました。
聴いていて、この作品はあまり読みたくないな、と感じた。
むずかしそうな小説だった。
そのあと、休日の朝の惰眠をむさぼっていた。

9時過ぎ、いきなり台所というよりトイレの出口でデカイ音がした。
何かが倒れたような音だった。
私は不吉な予感がして立ち上がり急いでそこに行くと、女房が倒れていた。
抱きかかえ「えみさん」と声をかけても返事がない。
顔にかかった髪の毛をどかしていると、白い顔に赤みが戻り、目を開けた。
女房は自分がどうなったか分からないといった感じだった。
だんだん意識が戻り、「私、トイレから出て、たおれたんだ」という。
私は、それを聞いてホッとした。
それから女房は1人で歩いて布団の中に入ってやすんだ。

2人でぽつりぽつりと話す。
「東京に帰ったら、病院に行って検査受けるんだよ。何が原因か調べて…」
「私、低血圧なんだ。これで3回目かな?」
「いいから、自分で結論ださないで病院に行って…」
私は、夫婦はこういうことを繰り返して、いつかどちらかが死んで行くんだな、と考えた。
歳をとってきたら離れて暮らすのは良くないな、と思った。
女房が東京でこうなったらどうなるんだ。
自分で気がつくまで倒れているのだろう。
部屋だったらいい、駅のホームでなんか倒れてしまったら…、なんてこと考えてしまう。
いや、女房じゃない。
私が軽井沢で倒れることのほうが確率が高い。
このところ血圧が高いんだ。
血糖値だって高く、毎月病院に行っている。

女房は、今朝起きたときにちょっといつもとは違うな、と感じたらしい。
それでも起きて家事をしていた。
それでトイレから出たときに倒れたという。
こんどから、いつもと違うと自覚したら何もしないで休んでいるようにお願いした。
ふだんより体調がおかしいと感じたら動かないでいるように頼んだ。
そうすれば、“倒れる”なんてことはないだろう。
私は、女房が倒れたときの音が耳から離れない。

午前中、女房は寝ていた。
私は久しぶりに、NHKの将棋対局を観ていた。
昼前に女房は元気になった。
いつもの“えみさん”に変身した。

<お詫び>
今日の九想話の標題は、たんなるダジャレです。
なんの意味もありません。
最初、「惰眠中」としたのですが、なんとなく「レオナルド・惰眠中」としてしましました。
ただ、女房が一番好きな画家が、レオナルド・ダ・ヴィンチということは間違いありません。

<お詫び 2>
やはり標題で遊んではいけないと反省しました。
標題を「惰眠の中」と直しました。(2/11)