土曜日、作業所の新年会があった。
昼の時間に寿司屋にみんなで行った。
1時間ほど、お茶で寿司を食べただけだったが、
それぞれに今年の目標などをいってもらい、
楽しい新年会だった。
帰ってから作業の続きをした。
私としては、
お酒のない新年会というのは初めてだった。
“貴重な”体験でした。
その新年会をやった寿司屋があったのが、
私が20年前に住んでいた鶴瀬(富士見市)だった。
3人の作業所の子たちを乗せて、
私は作業所の軽ワゴンで行ったのですが、
鶴瀬駅前に近づくほどに、私の胸は熱くなった。
その辺を20年前、
私と女房は息子たちを連れてよく歩ったのです。
幼かった息子たちは可愛かった(オヤバカ デス)。
双子はめずらしいので、みんなが振り返って見た。
昨日女房に、鶴瀬に行ったことを話すと、
「行ってみたい」と彼女がいった。
それでふたりでドライブとしゃれた。
鶴瀬までは、車で30分ほどで行ける距離なのに、
女房はかなり行ってない。
私も10年は行ってなかったと思う。
私たちは東京の高島平団地に2年弱いて、
息子たちが1歳になった頃、鶴瀬に越した。
家賃のことを考えると埼玉県に行くしかなかった。
鶴瀬に引っ越して1年ほどたった頃、
勤めていた会社の縮小で私はそこを辞めた。
デジタル時計のガラスの印刷をしていた
私たちの部署がなくなったのです。
私は30前だった。
なかなか仕事がなく、背に腹は代えられず、
女房が池袋のスナックで働くというので、
私は面接について行ったことがあった。
私はみじめだった。
面接が終わって出てきた彼女に、
「やっぱりここはよそう」と私はいった。
鶴瀬のことでは一番そのことを思い出す。
その他に、
Kがパチンコの玉を飲んで大騒ぎしたこと、
息子たちが、手足口病になり、やせ細ってしまったこと、
ふたりが幼稚園に行ったこと、
私が一輪車を買って練習して乗れるようになったこと、
富士見市民吹奏楽団でトロンボーンを吹いたこと、
定期演奏会に女房、息子たちが来てくれたこと、
4年間しか暮らさなかったけど、いろいろなことがあった。
鶴瀬の駅前を過ぎ、団地内に入る。
建て替えの話はきいているが、
建物はまだ、あのときのままだった。
私たちの住んでいた2DKのある建物を見る。
女房は何を思っていたのか。
私が夜、市民吹奏楽団に練習に行くとき、
四畳半の窓でちっちゃな息子たちが、
「パーパ、パ~パ」いって泣いて後を追った。。
あ…、あの息子たちはどこに行ってしまったのだろう。